ブログをはじめました

年齢を追うごとに自意識は調整されて、感受性だとか情緒だとかのメータは平均値化し、私たちの精神世界に安定と平和が訪れるものなのだと思っていた。つまり、大人になれば私たちはこの得体のしれない苦しみから解放されるのだと。

まさかいまだに、こんなふうにして閉鎖的なインターネット空間のなかから世界中に向けて不毛な自意識を排出する行為を続けているだなんて、10代の私は想像もしていなかったはずだ。

 確かに、排出するにもエネルギーが要る。大人になるということはそれだけエネルギーを必要とする場面が増えるということかもしれない。そうやって自意識は良識という壁の奥へ追いやられる。ビジネスの場面では思ってもみないような定型文がすらすらと述べられるのに、自分の頭の中のセンシティブな部分や複雑な感情を表現しようとすると途端に言葉に詰まってしまうようなことが頻繁に起こるのも、日常的な自制の結果である。しかしそれは感受性が鈍感になっていくこととは別なのだ。刺激される脳のパーツが違う。ただ、何事にも日々の持続が必要なように、感情を組み立てる作業を怠る毎日を続けていれば、言葉の力は弱ってゆく。そればかりか、蓄積するだけのものはそのうちに腐っていく。甕に溜めた水のように。表現されないまま内に閉じ込めた感性などは、只の病気である。

そういうわけで、ブログを書き始める。

よどみなく流れる川をイメージしながら。私の心がいつまでも透明であることを願って。